エスノの昔の話。(第166回)

※2014/4/8の記事です。

こんにちは、エスノです。

今日は朝からスカイプと
コンサル事前面談で大わらわでした。

そして明後日は大阪に泊まりで
対面コンサルしに行きます。

仕事が目的で泊まりの外出をしたことがないので、
「なんか出張っぽい!ビジネスマンっぽい!」
と謎の高まりを見せていますが、前職がほぼ内勤の
企画・管理系の部署だったのでお許しください。

ちなみに、たまに聞かれるのですが、
私の前職はアパレル、ファッション関係でもなく
ネット関係でもなく、IT系ですらありません。

人材系の営業会社だったので、
入社して半年はひたすらテレアポでした。

東証に上場しているような、
そこそこ大きい企業の役員クラスのアポも取りましたが、
不況の折、商談成約率の低い新人は基本的に営業に出られず。

ただまあ、このへんまではまだ、
せいぜい業務に追われて土日は基本出社、
月の残業が150時間を超えるとか、
その程度だったのでよかったのです。

しかし、そうこうしているうちに、
そんなにアポが取れなかった私は、
どうやら営業の資質なしと判断されたようで、
企画系の部署に異動することになりました。

異動後の部署は、
出社時間の縛りなどは営業のときよりも緩くなり、
土日出社も別に必須という感じではありません。

しかし、営業部門にいたときよりも、企画系、
要するに「頭を使って価値を生む」仕事のほうが、
自分の存在価値のなさを痛烈に感じることになってしまい、
それが本当にキツかった記憶があります。

営業部門では、テレアポと
その電話先のリストアップばかりを、
始発も終電も土日もなくやっている。

こう書くと、長時間休みもなく
ずっと仕事をして大変そうな気がしますが、
人が本当に心から焦るのは、これ以上ないくらい
自分の存在価値が見出だせなくなった時です。

ある意味、電話だけしていれば、
最低限の自分の価値を保てた営業とは違い、
異動後はどこにも逃げ場がありませんでした。

いくら一生懸命考えようが、
どんなに最新の注意を払って対応してようが、
求められる基準に全く達しないときというのは
本当に心が折れるという表現が相応しいほど絶望します。

なんでこんなに出来ないのか、
なんでこんなことも考えつかないのか

それはそれは、言葉で言い表せないほど
悔しい思いをしたのを今でもはっきりと覚えています。

と、そんな環境でモミモミされた結果、
出来ないながらなんとか少しずつ成長して、
ちょっと余裕が出てきた入社3年目の秋頃に、
いわゆるネットビジネスの世界に出会ってしまいました。

知ってしまったらもう最後、
あとは興味の赴くままに情報を貪って、
その勢いはどんどん加速し、翌年の春にいきおい退職。

辞める少し前にBUYMAと出会って、
それ以来ずっとBUYMAと関わり続けて今に至ります。

だからどうしたという私の社会人歴の振り返りですが、
退職して3年、なんだかんだ今までやれているのは、
前職の企画部門で死ぬほど絶望した結果、開き直って、

「今できないのは仕方ないからせめて毎日少しでも成長しよう」

とやってきたからだなと思ったわけです。

今の自分に絶望しても、諦めなければ
いつか自分は、進化した自分になれる。

もちろん、ただ気持ちを入れ替えるとか、
そんなことだけで成し遂げられるほど
甘いモノではありません。

意識を変え、行動を変え、
習慣を変えるレベルまでいかなければ、
結局それまでと同じだと思います。

でもほんの少しだけ、
ほんのちょっとだけでいいので、
そういうところまで変化できたなら、
きっとそう遠くない未来に道は拓けると思います。

個別コンサルを募集し始めて約1ヶ月、
今回の募集で申し込んでくださった方、
そして引き続き継続してくださる方と、
また新しい1ヶ月を迎えるにあたって、
なんとなく書き始めたら筆が止まらなくなったので、
今日はこんな話題でご勘弁いただければと思います。

ではではー。

★☆★ エスノ ★☆★

P.S.

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